日本における歴史

日本には1947年、GHQ専用に輸入されたが、一般販売は行われなかった。しかし、後に大統領となるニクソンが弁護士として市場開放のロビー活動をしていたのは有名な話である。

日本における一般販売は本土よりも早く1954年に、当時アメリカ統治下の沖縄で比嘉悦雄により開始される。コカ・コーラの6.5オンスに対して8オンスの容量、回収不要のワンウェイ瓶の導入で当初はコカ・コーラを圧倒していた。

本土では1957年に映画王と呼ばれた大映社長の永田雅一や朝日麦酒の山本為三郎なども関わる形でペプシ事業がスタートとなった。コカ・コーラが早くから三菱・三井などの大手財閥系企業を中心に大企業を次々とボトラーに抱えいれたのに対して、ペプシは伊藤忠商事・日綿実業(後のニチメン)・宇部興産などを抱えいれるものの、日本全土にボトラーを設立することに大きな遅れを取ってしまい、先に大規模な資本・物量攻勢を行っていたコカ・コーラに敗北を喫することとなった(そのような状況下でも宇部興産がボトラー経営をしていた中国地区、コカ・コーラのほかにコアップガラナというライバルとしのぎを削りながら販売網を順調に広げた北海道地区、中日ドラゴンズめんこなど独自のノベルティを展開した中部地区は善戦していた)。ペプシ自社のルート以外にもボトリングを請け負っていた関係でチェリオコーポレーション(旧セブンアップ飲料関西・販売は現在も継続)やカゴメ(静岡、山梨地区でペプシ製品を製造販売していた)の他、提携という形でカルピス、ユニマットライフ(現ジャパンビバレッジ)等の自販機ルートを通じても販売されていた。

1997年に日本に於ける事業(マーケティング及び製造販売総代理権)をサントリーに譲渡し、1998年以降、飲料部門のサントリーフーズが販売している。これにより製造販売を請け負っていた地域ボトラーはサントリーフーズとの関係が親密になった販社へと業態変換している。一方で国内ペプシボトラーの最大手だったビバックス(旧宇部興産飲料・キリンビバレッジに株式譲渡)の離反なども発生している。例外的に2007年から「クラシックデザイン」のみダイドードリンコが販売。ただし、「クラシックデザイン」もサントリーが製造しダイドードリンコに供給しているものである。